狭川に、住む。(篆刻:狭)

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※今回から15回は、『わたしのマチオモイ帖(全国のクリエイターが、それぞれ自分の
思いのある「町」を冊子や映像で紹介する展覧会)』に参加するための原稿で、いわば
短期集中連載となります。よろしくお付き合いください。


ここ奈良市北東部の狭川地区・西狭川町に古民家が見つかって移り住んでから、
もう30年になる。横浜から引っ越して、まず住んだのは奈良市南部の東九条町。
賃貸の鉄筋アパートをベースに、親子4人、自分で家を建てようと和歌山から伊賀
上野まで土地を探した。新聞の三行広告で見た御坊の別荘地に手付金を払ったが
後で国定公園だと言われたり、折込チラシで奈良市のはずれの山間部に別荘地を
見に行ったが、あまり急な坂なので道端に自転車2台を置いて行き、誰がこんな所
に住むのかと呆れて下りてきたら自転車が消えていたり。まあ話せばきりがない。

会社を辞めて職業訓練校で1年間建築の勉強もした。柱1本も重くて持てないので、
空き家探しに転向。まず原付バイクで、免許を取って車で、奈良市の東部山間を
くまなく走り、畑仕事をする人にも声をかけて、空き家があったらと電話番号を渡した。

それで紹介されたのがこの家。大正6、7年に天理から移築したというから、とうに
100年は経っているだろう。幸いだったのは、持ち主がバスの通る県道添いに
新築するために、この家にほとんど手を加えていなかったこと。風呂は五右衛門だし、
トイレは汲み取りで、土間やカマドは昔のままだった。以来30年だから安物の家が
一軒建つほどあちこち補修をしたが、狭川のこの家への愛着と感謝は増すばかりだ。

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