夢のように、死んで。(篆刻:夢死)

夢死
もう少し、池田晶子さんの『人生のほんとう』から。 「死んだ人が悲しいと思っているかどうかはわからない。死ぬのが本人にとって 悲しいことなのかどうか、われわれにはあくまでもわからないんですよ。 だって、われわれは死んだことがないわけですから。」 それから1年と少しの死。彼女は、死を悲しいと思わなかっただろうか。 吉本隆明さんが『真贋』のなかで、「瀬戸内寂聴さんが死は怖くないとあちこちで 話しているようだが、そんなのは信じない」と言っている。死んだこともないのに、 そんなことは言わない方がいいと思うよ、という感じで。確かにそうですね。 池田さんが好きだった禅にも「前後際断」の言葉があるように、現在だけが在る。 先のことなど分からない。自分が死ぬときのことなど、分かるわけがない。 篆刻は、「酔生」に続く「夢死」。酔の卒は、死者の衿の結びで霊が迷い出るのを 防ぐこと。夢は呪術で夢魔により人の心を乱す巫女の姿。死は、残骨と拝む人の形。 「酔生夢死」とは、酒に酔ったように、夢を見ているように一生を過ごすこと。 何もなすことなく、むなしく一生を終わること、との解釈もあるけれど、 業績も財産も持って行けないあの世であれば、酔生夢死で御の字ではないか。
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